大人になった時に本当に必要な知識に関する教育を子供のうちにしておこう、という話。
先日僕が外出先から帰宅したら高校生の姪っ子がうちに来ていました。
何故かうちの長男(中一)と一緒に机で黙々と勉強していました。
「どうしたの?」
と聞くと家の都合で両親(僕の妹夫妻)がうちの近くで数時間かかる用事があり、
その後一緒に出掛けるらしく、両親が用事を済ませる間うちで勉強をさせてもらおう、という話になったみたいでした。
それで「お世話になってもいいか。」と妹夫婦から連絡があった時にうちの奥さんが、ちょうど中一の息子も塾の宿題をやらないといけないタイミングだった為、是非おいで、といって一緒にやりだしたとの事です。
「ちょっと教科書を見せて。」
といって姪っ子の教科書を手によると国語の難しい古文や漢文、数学のサイン、コサイン、タンジェントとかいう昔よく苦しめられた内容がよく出てきていました。
漢文の「鴻門之会」とか懐かしいなあ、と思いながら読んでいました。
勉強する2人の邪魔にならない様にパラパラ教科書をめくりながら、ふと
「こういう勉強の内容って今の自分にとってどこまで身になっているんだろう。」
と考えてしまいました。
本当に必要な知識って
昔から「よみかきそろばん」という様に他人と良好なコミュニケーションをとる為の言葉や文字での伝達行為。貨幣経済が浸透している現代社会において最低限の計算が出来る行為。これ位は生きていく上での基本的な事だと思います。
だからこそ昔からこの辺りは最低限身につけなければならない事としての愛称であったのだと思います。
それだけ覚えておけばほかは不要、というのはあまりにも暴論だとは思いますが、それにしても
「幼稚園から大学までの19年間で学んだ事で不要である事ってあまりにも多いんじゃないかなあ。」
というのが今思い返しての感想です。
おそらく高校で勉強した物理や化学は今思い出す自信も、今から教科書を渡されてもまったく知識を身につける自信もありません。
こうやって考えると
「大人になって生きていく上で本当に必要な知識を社会人になる前にもっと学ぶ必要があるのではないか。」
「教育の場が『学問の場』になってしまっているのではないか。」
と考えてしまいます。
もちろん現状の学校教育での内容を全否定するつもりもありませんし、自分自身が自覚していないところで昔勉強した事が今になって活きている部分もたくさんあるであろう、と考えるところもあります。
但し
「この事をもう少し義務教育や高校教育の場でちゃんと教育出来る国であれば人材はもっと育つのに。」
と感じる事が沢山あります。
ではどんな事を教えるべきでしょうか。
僕が考えるべきは以下の9つです。
- 民法、労働基準法
- 税務、会計、簿記
- 投資教育
- 会社経営
- 社会保障
- 複数の語学
- プログラミング
- リスクマネジメント
- 道徳教育
これらは義務教育や高校教育までに是非一通りの事を知識として身につける機会が欲しい、と思います。
ではどうしてそう思うのか、これらを一つづつ見ていきたいと思います。
①民法、労働基準法
人が2人以上集まればそれは組織です。
我々は気づかぬ間に様々な組織やコミュニティに所属しています。
学生の間はクラス、小学生の時はクラス以外にも通学班や子供会、中学生になると部活動、さらには塾でもそうです。
ところが組織、コミュニティというのは基本的に「他人の集まり」です。
人はそれぞれ価値観等が人によって異なります。
価値観の異なる人が自分の価値観によって行動をすると組織の様々な局面で軋轢を生みます。
よく「あの人は常識がない。」という表現をする方がみえます。
でもこの表現は間違っています。
常識というのは
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
だそうです。
ただこれらはその人が育ってきた環境や受けてきた教育、蓄積してきた経験によって異なります。
ですから表現としては
「常識が違う。」
というのが正しい言い方なんだと思います。
常識はおそらく全ての人が持っている、ただその内容が人によって異なるんだ、という事。
常識がない、という表現は自分は正しくて他人は正しくない、というある意味他人を上から見ている表現だと思います。
前置きが長くなりましたが、この人によって異なる常識、価値観が異なる他人同士がコミュニティを作って暮らしている現代社会において、他人同士の行動の調整弁となっているのが民法なんだと思います。
最高法規である憲法、専門分野である刑法や税法と異なり、民法は自分達の生活のありとあらゆるところに入り込んでいます。
1000条以上からなり、財産、家族という正に自分達が日ごろ接するものに関する法律です。
しかし法学部に進学する大学生でもない限り実際に学ぶ方、学ぶ機会のある方ってどれだけいるでしょうか。
車を運転する時には交通法規を学びます。
では日常生活をおくる時にそれを律する民法は何故学ばないの? という事です。
同じことが労働基準法にも言えます。
学校を卒業して社会に出るという事は仕事に就く、という事と同義語と日本では捉えられています。
仕事に就くときにいきなり一人で起業する方、というのは少ないと思います。
(ほとんどいないかも。)
となると就職するという事は=労働者になる、という事です。
労働者になる人が雇用に関する最低限守らないといけない法律である労働基準法をしらないという事は話になりません。
実際に起業して人を雇う側になるとなおさら労働基準法というのは知っておかなければなりません。
ところがこの「雇用」というのは日本で生きていて大人になると避けられないものであるにもかかわらず全く学ぶ機会がありません。
どこかで学ぶ機会を作る必要があると思います。
②税務、会計、簿記
アメリカでは「必ず訪れる、誰にも避けられないもの」の例えとして
「死ぬことと税金」
という表現があるそうです。
これは日本も同じです。
自分たちの周りにはいかに税金が沢山あるか、ご存知でしょうか。
- 買い物をすれば消費税がかかります。
- ガソリンスタンドでディーゼルを給油すれば消費税に加えて軽油税も。
- 家を建てれば不動産取得税、固定資産税、さらに建築会社との契約書には印紙税もかかります。
- ゴルフをやりにいけばゴルフ場利用税が。
- 車を買うと自動車取得税、自動車税、重量税が。
- 会社からもらう給与からは源泉所得税、住民税もかかります。(見方を変えれば国民健康保険、厚生年金、雇用保険も税金みたいなものです。)
ところがこれについて勉強する機会ってどのくらいあるでしょうか。
しらないまま「これくらいかかるんだ。」と普通に考えなく払っているケースがほとんどだと思います。
会計や複式簿記も同じです。
「自分は縁遠い」
と思ってみえる方も多いと思いますがそんなことはありません。
会計を知ると会社の状況が一目瞭然で分かります。
自分が勤めている会社が上場企業であったとしたらその財務情報は開示されています。
今の会社の状況がどうなっているのかをご自身で知ることが出来ます。
また非上場会社でも就職する時に面接に資本金のみならず純資産の金額や流動比率の確認が出来れば会社の安全性や資金繰りをある程度推測することが出来ます。
終わりそうにないので次回に続きます。