相手を信頼して、任せてみる。
ゴールデンウィークという事で今年は10連休。
僕も暦通りの10連休となり仕事も全く入っておらず、かといって息子の野球チームの活動の為どこにも遠出が出来ず、自宅でのんびりしています。
こんな時にこそ、普段出来ない事をやろうと思い、色々考えました。
- 株のチャートをたくさん観る。
- 運動をする。
- 息子の野球でどこにも出かけられない娘をどこかに連れていく。
他にもいくつかの小さな目標がありますが、その中で
「テレビを観る」
というのも一つの目標です。
普段忙しくてなかなか観られないドキュメンタリー番組があって、長期連休の間に観たいなあと思っていたものをちょっとづつ観ようと思って録画しておいたものを観る、というのも一つの目標でした。
早速観ていたのですが、その中で
「なるほどなあ。」
と思わせる番組がありました。
女優の戸田恵梨香さんが出演しているNHKの番組で中国の歴史上の巨大建造物に焦点を当てた番組です。
以前放送されたものの再放送らしく、1時間の番組を3つ、3時間連続放送でしたが、その中で万里の長城の歴史的変化についての内容があり、それについて色々考えさせられました。
①長い歴史のある長城
もともと万里の長城というのは中国に統一王朝が出来る紀元前4~300年前の春秋時代に各国で作られたものを秦の始皇帝が大々的に再構築したのがその始まりであるとの事です。
その後最後の長城建築が清の時代の康熙帝の時代、という事です。
康熙帝が亡くなられたのが1722年という事ですので、約2,000年の間、中国の歴代王朝は何らかの形でこのおそらく人類史上最大の巨大人工建造物と向き合ってきた訳です。
ただ、この間数多くの国家が興亡していた中国です。
前漢時代の武帝の様に北方への外征を積極的に行い、長城をどんどん拡張していったり、モンゴルの侵攻に備えて長城を再整備した明の永楽帝の時代の様な国家もあれば、唐や宋の様に国土防衛に全く長城を活用しない国家もあり、そこは長城との関わりはまちまちだったらしいですが、あれだけの建造物です。
何らかの形で心理的にも実務的にも時の為政者に影響を与えたのだと思います。
②長城の役割を決定的に変えた康熙帝
最近発見された長城があります。
清代に作られた「柳条辺」です。
文献にはこの長城の記録があったのですが、これがどこにどんな形で存在したのかは最近まで不明でした。
これを発見したのは近くに住む公務員の方。
この辺りに土手ばかりあるので何かおかしい、と思い気が付いたらそれが柳条辺という事が分かったとの事です。
この柳条辺は今までの長城とは役割が決定的に異なるとの事です。
壁の高さ2メートル位。しかも今までの石積みのものと異なり、土を盛ってその上に柳を植えただけのもの。
柳条辺の役割は
「北方民族の南方への侵攻を防ぐ。」
というものではなく
「北方民族と清の住む場所を区別する。」
というものだそうです。
北方民族は遊牧民族、清も元々北方民族でしたが南下して農耕民族になりました。
低い壁を作り
「ここまでは北方民族、ここからは農耕民族」
と侵攻云々でなく、お互いの生活エリアを保証する事で侵攻や防御の必要をなくし、その上で異民族同士が様々な物質を交換できる市場を開きました。
以前は敵同士であった漢民族、モンゴル族、満州族も一緒に暮らす様になり始めたのは清の頃からです。
包子という肉まんも遊牧民族の好む肉を漢民族(農耕民族)が作る小麦粉で作るようになった清の時代に作られたもの。
康熙帝が目指したのは
「民族融和」
様々な民族を「区別し」「遮断し」「対立する」のではなく、それぞれの生活エリアを「区別し」「保証し」「交流を促す」。
これを進めました。
康熙帝自らモンゴル族、満州族始め、様々な民族の方と積極的に交流したとの事です。
康熙帝は万里の長城の役目を歴史的に変化させ、かつ終わらせました。
ここに万里の長城は「防御壁」としての役割を終えたのです。
この番組を観て僕は以前のローマ帝国の話を思い出しました。
ローマ帝国もユリウス・カエサルがガリア地方を制圧後、制圧した相手に対しローマ帝国の市民としての権利である「ローマ市民権」を普通に与えていた、との事です。
「制圧し」「統治する」のでなく、「同化」させて取り込んでしまう。
ローマ帝国があれほど広い地域を長い期間統治する事が出来た理由の一つです。
③参加させる、信頼する、任せる
人と何かをしようとする時があります。
上司として部下に仕事を任せる時、それが大事な事であればある程躊躇するケースがあります。
監督が選手を試合に送り出す時もそうです。
その試合がレベルが高くなればなるほど、勝ち進めば勝ち進むほど、選択肢は狭くなります。同じ選手を選択しがちです。
それでは人は育ちません。
何となく印象で
「あの人苦手だなあ」
と思っていた人も、実際に付き合ってみるとそうでもないケースもあります。
(もちろん逆もありますが。)
僕も他人を見る時、評価する時にどこかで偏見の目をもって見ている時があります。
そんな時、康熙帝の様に変な壁を作らずに出来たらなあ、と思いました。