自財人を目指す男のブログ

人生を豊かにする「財」を「自在に稼ぐ」という意味の「自財人」を目指す男のブログです。某会社の執行役員として、トレーダーとして、トレード講師として、不動産投資家としての毎日を綴っていきます。

子供から学ぶ事

子供が受ける教育は実は大人にこそ有効かもしれない、と思った話。

先日うちの長男が中学校の入学式があり、出席してきました。

卒業式ならともかく入学式は男親なんて参加するのかなあ、なんて思いながら行ってみるとお父さん方、めっちゃいました。

「結構いるんやなあ。」

と思いながら子供と母親と3人で校内に入っていくと、長男のスポーツ少年団の先輩が早速

「おー、きたか。」

といいながらいじられたり、近所の先輩に

「かっこええ~。」

とからかわれたり、小学生時代の友人と一緒になったり、まあ楽しそうで、これならとりあえず「溶け込む」という事には何の問題もなさそうだなあ、と安心しながらみていました。

 

入学式→始業式と連続で行い、その後クラスの教室に入り、先生の自己紹介やちょっとした遊び感覚の自己紹介等を行ってました。

 

始業式では担任発表の時に上級生から歓声や拍手が上がったり、先生がそれに手を挙げて応えながら登壇したり、「なんか時代は変わったなあ…。」と思いながら見ていました。

 

半日くらい学校にいたのですが、ちょっと子供たちがうらやましくなりました。

「若いからうらやましい。」

とかそういう事でなく、環境の話です。

 

①自分で変えられない時間割がある

中学校に限らず学校には「時間割」というものがあり、先生も生徒もそれに沿って動きます。

そこに従ってやるべきことをやればいい、というのはある意味うらやましいです。

特に僕の様に意思の弱い人なんかはそうですね。

時間割があるだけでなく、時間割に沿ってやらないと怒ってくれる人=先生がいます。

周囲のみんなも殆どの人はしっかり時間割をこなしており、周囲の人がやっているのを見て、「自分もやらなくちゃ」と思います。

 

ルートに乗れる、というのはある意味楽ですね。

こういう時間割がある、というのはうらやましいです。

 

②指導してくれる人がいる

 

やはり日常生活の大部分を過ごす時間に「先生」と言われる人がそばにいるのは心強いです。

もう僕位の年齢になると自分の事を怒ってくれる方、指導してくれる方も周囲におらず、全て自分の責任でやらなくてはやりません。

今回学校に行って子供達を指導している先生を見て、子供たちがうらやましいなあ、と思いました。

 

③物事に素直に取り組める

 

①、②はともかく、これが一番大きいです。

 

先生の言う事に素直に取り組む、これが全員出来ていました。

例えばじゃんけん。

今回クラスメイトが初顔合わせという事もあり、先生がクラスメイトの名簿を渡して10分間で自分から色んな人に声をかけて自己紹介した後に「あいこじゃんけん」(あいこになればOK、ならなければ「またね」と言う)をして自己紹介プラスじゃんけんをした人を名簿にチェックしていく、という事をやっていました。

子供達は照れながらもしっかりやっていました。

 

これが大人ならどうでしょうか。

まあ大人はじゃんけんはしないと思いますが。

 

仕事柄研修を受ける事が多いですが大人なら寝ている人、スマホをいじっている人もちょくちょく見受けられます。

 

僕自身株式トレード塾の講師として教壇に立つ事もありますが真剣に聞いている方もいればなんか他事をやっている人もいます。

「貴重なお金と時間を使って何やってるの?」

と疑問に思う方もみえます。

 

「子供達には無限の未来がある。」

なんていう事をよく聞きます。

ただ最近よく思います。

「無限の未来は大人にもある。ただその未来を閉ざしてしまっているのも大人自身。」と。

 

人も生物である以上大人になると老化現象は出てきます。

ですから30歳代、40歳代の人がそこからプロスポーツ選手になる、というのはやはり現実的ではないでしょう。

(ちなみに先日引退したイチローは肉体的衰えというよりむしろ動体視力の衰えだったというのがもっぱらの話です。まあこれも肉体的衰えの一部分ですが。)

 

ところが自分の「考え方」はどうでしょうか。

 

今までの人生で得た知識や経験の量は子供をはるかに凌駕します。

様々な実践を積み重ね、「こういう時はこうなるかも。」という様な経験則も持ち合わせています。

自由になるお金もおそらく子供よりずっと多いです。

(時間は分かりませんが。)

 

ところがその知識、経験則が逆にリミッターとなってしまっている人も数多くいる様に思います。

 

自分が自分の可能性を信じて、素直になって、自分のやりたいことを純粋に取り組んでみる。

 

子供が実際に学校で受けている授業、教育をもう一度は受けられません。

ただ大人が自分の知識や経験を活かし、子供の時の素直な気持ちをもって何かに取り組む事が出来れば、大人も子共に負けない無限の未来が開けているんではないか、と思います。

 

そんなことを感じた子供の入学式でした。