自財人を目指す男のブログ

人生を豊かにする「財」を「自在に稼ぐ」という意味の「自財人」を目指す男のブログです。某会社の執行役員として、トレーダーとして、トレード講師として、不動産投資家としての毎日を綴っていきます。

卒業式

式は素晴らしい、ただ、誰の為にやっているんだろう、と思う事。

 

先日、我が家の長男が小学校の卒業式を迎えました。

産まれてきてからはやくも12年。

よく我が家に来てくれたなあ、と感慨もひとしおでした。

卒業式の3日ほど前には子供が所属しているスポーツ少年団の卒団式も行われました。

両方共に出席したのですが、素晴らしい内容であったと同時に「なんだかなあ」と感じる事も多々ありました。

 

①式の「練習」

スポーツ少年団の卒団式の練習が前日にあるので団員は参加してください、という連絡が数週間前にあり、前日の夕方うちの長男は「ちょっといってくるね。」といって出かけてきました。

17時から練習という事で何か食べていくか、と聞いたところ、1時間ちょっとという事でご飯は帰ったら食べる、との事でした。

 

ところが2時間経過した19時を過ぎても一向に帰ってこない。

「何をやっているんだろう。」

と夫婦そろって話していたら20時前に参加していた大人の方から「もうすぐ終わります。」という連絡がありました。

結局帰ってきたのは20時過ぎ。

帰宅後の第一声が

「腹減った~。」

でした。

 

まあそりゃあそうやろうなあ、と思いながらご飯をがっついている子供にいったいなんでそんなに時間がかかったのか、と聞くと、

「だって市内全てのスポーツ少年団の全員が集まって入場の練習とか卒業記念品の受け渡しの練習とか全部やるんだよ。1時間で終わる訳ないじゃん。

みんなして『だり~』、『腹減った~』って言ってたよ。」

と話してました。

 

「そりゃ大変だったなあ。」

と話していると

「最近は学校で卒業式の練習とかもあって大変だよ。びしっと歩いたり直角に曲がったり、めんどくさいことばっかり。その分外で身体を動かしたいよ。」

と愚痴っていました。

 

② これは誰の為にやっているんだ?

 次の日のスポーツ少年団の卒団式は僕も指導者登録をしていることもあり、参加をしたのですが、実際に式に出席をして、実際に式を見て

「これをわざわざ予行練習するのなら1時間で済む訳ないわなあ…。」

と一人で納得していました。

 

実際に式は非常に立派だったです。

市の施設(結構大きい器で普段はコンサートとかも行われる会場。)を借り切って市内の全ての少年団が集合し、卒団記念品の授与とか、今まで長年指導者として貢献してきた人やスポーツ少年団のOBで中学で全国大会で活躍した人への表彰等もあり、卒団記念品は各団の代表者が代表で受取ましたが、その際全ての団員が壇上に上がり、名前を呼ばれていました。

 

ただこれを見て思ったのが

「これは誰の為にやっているんだ?」

という事でした。

 

式典自体は素晴らしかったです。

ただ

「わざわざ前日に3時間も拘束して団員に予行練習をさせる意味がどこにあるの?」

というのは非常に疑問を感じます。

しかも当初は1時間ちょい、といっていたにもかかわらず、です。

 

確かに団員がきちんと列を作り壇上に上がっていったりする姿は見ていて素晴らしいです。

ただ、彼らはわざわざ前日に招集して数時間練習をさせ、整列や入退場の練習なんてさせなくても普通に壇上にあがればいいと思います。

 

ほんの数分の行進や見た目のその場限りの美しさの為に何十人の大人、何百人の子供が時間を使わなければならないのでしょうか。

 

何の為、誰の為にやっているのでしょうか。

 

③仕切っている大人が別の人向けに「やり過ぎて」しまっていないか。

 

スポーツ少年団の卒団式の数日後に行われた卒業式を見てもそれは感じました。

 

素晴らしい式でした。

子供が列を作り、一人づつ名前を呼ばれて登壇し、卒業証書をもらい、自分の席に帰っていくまでの間、綺麗に歩き、曲がるときは直角に。

在校生や保護者へのメッセージや歌も

「おそらく相当練習したんだなあ。」

というのが感じられる内容でした。

 

正直感動もしました。

 

但し、この式典をこれだけ作りこむのに子供達、教職員の方がどれだけ時間を使ったのかを考えると果たしてそこまでやる必要があるのかどうか、というところに非常に疑問を感じました。

 

6年生の3月といえばあと少しで卒業です。

であればそういった一回きりのイベントの準備に膨大な時間を使うのではなく、少しでも子供たち自身が楽しめる時間や授業に充てた方が生産的でしょうし、教員の方々の労働時間が社会問題となっている中で少しでも負担を減らす方向にした方がいいのでは、と思います。

 

卒業式にも卒団式にも非常に多くの来賓の方がみえてました。

ひょっとして企画をする大人が

「来賓者や保護者に対してちゃんとしたものを見せないといけない。という思い込みで行動をしてしまっていないか。」

と思い込んでしまっているのかあ、とも邪推してしまいます。

 

市長、教育委員会、その他各団体…。

 

そういう人たちに対して

「あの学校は、あの団の式はもっとしっかりやらなければいけない。」

なんて事を言われない様に作りこんでいるのではないか。

 

またもう一つ考えられるのが

「現場を仕切る方が自己満足的にやってしまっている。」

という事。

 

これは僕なんかでも経験がありますが、何かを任されると「さすがだったね。」の評価欲しさに色んな事をやりすぎてしまい、盛り上げるための手段として考えた事を沢山やり過ぎてしまい、それをこなすのにいっぱいいっぱいになってしまう、なんていう事がよくあります。

 

④形式はほどほどに、気持ちで熱く

 

卒業式、卒団式、形式にそれほどこだわる必要もないと思います。

多大な時間を拘束しての練習時間、直角に曲がる行進、そこまで必要でしょうか。

巣立っていく子供たちに、見送る人たちが「おめでとう」の気持ちで熱く盛り上げてあげればいい。

そんなことを感じた3月末の出来事でした。