自財人を目指す男のブログ

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やってみればいいやん

高校野球の球数制限が物議を醸しています。

 

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新潟県の高野連が先行導入の発表をしたら全国高野連が

「全国で動きを統一させたいから。」

という理由でストップをかけたみたいです。

 

どうも有識者会議を立ち上げて一年間審議して統一したアクションをするみたいです。

 

このニュースを観て「何で?」と思いました。。

 

やる、と言ってくれてるんだからやらせてみたらいいのに…。

 

大体高校球児のピッチャーの連投問題や球数制限導入の必要性って今まで散々言われてきた事だと思うのですが、今まで何をやってたんだか、といった感じです。

 

そもそも新潟高体連がなぜ今回の球数制限導入に踏み切ったか、という事なんです。

 

それは高校生の身体に対する影響を考えたから、という事です。

選手の身体を守ろう、という発想です。

 

これこそまさにスポーツの根幹である「プレイヤーズ・ファースト」にのっとった考え方です。

  

僕は野球は好きですが高校野球というものはあまり好きではありません。

その時期になれば黙っていても各所からニュースが飛び込んでくるので否応なしに目にしてしまいますが。

 

高校野球を見ていていつも感じるのが

「ホンマに高校の部活動か?」

という事です。

 

甲子園に出場する為に越境入学までしてひどい県ではその県の代表にもかかわらず、その県の選手がほとんどいない。

春の大会はともかく夏の大会は気が遠くなるほどの猛暑の中での試合。

(確か一昨年家族で夏の甲子園を観戦に行きました。この猛暑の中で良く試合をしているなあ、という印象でした。)

 

トーナメントも先に進むと試合が連続であり、ピッチャーは連戦連投のケースもある。

 

勿論選手も指導者も目の前の試合に勝つ為に全力を注ぎますし、おそらく僕もそこにいる当事者なら目先の一勝を掴む為に、出場している大会を勝ち抜くために、全力を注ぐでしょう。

 

ただその結果選手の身体に異変が生じたり、それこそ一生治らないケガを負わせてしまったらそれはいいことなのか。

その責任はだれがとるのか。

 

以前ネットの記事で猛暑対策で甲子園の本大会を大阪ドームでやればどうか、という事を提案した方がみえましたがプロにも進まれた元高校球児の方が

「甲子園でなければ意味がない。」

「選手は甲子園という『聖地』で試合をやるのがいいんだ。」

という訳の分からない意見をされていました。

 

僕はこういう方たちに言いたいのは

「人の命、人の身体の将来より大事なものがあるのか。」

と。

 

出場して試合をしているのは高校生です。

高校生に対して何が本当に大事なのか、本当に重視しないといけないものは何なのか、そういう事を大人が教えてあげるのが本当の教育ではないのか。

そう思います。

 

こんな意見も耳にしました。

 

「球数制限を実施すればより多くのピッチャーをそろえられる私立高校の方が優位になる。」

 

いやいや、もう既にそうなっているでしょ。

 

甲子園常連校の学校ってほとんど私立でしょ。

なんで今更そんな事言うの?

じゃあ私立と公立と大会を分けた大会にすればいいでしょ。

 

「球数制限をすると相手エースを降板させようとわざとファウルをうち、球数を稼ごうとするチームも現れる。」

なんていう意見も耳にしました。

 

それならルール変えればいいやん。

例えば2ストライク後の2ファールで三振とか、1イニングで打ったファールが10以上なら次のイニングは2アウトで交代しなければならないとか。

 

ルールなんて変えればいい訳ですよ。

 

NBAではオフェンス優位にするために以前はゾーンディフェンスを「イリーガルディフェンス」と呼び、禁止にしていました。

マンツーマンディフェンスしかダメだった訳です。

ただそれで世界の舞台で勝てなくなり、そこでイリーガルディフェンスを解禁しました。

 

それと一緒です。

勝つことが目的なら勝つ為にルールを変える。

選手の身体を守るのが目的ならその為にルールを変える。

そうやって実情に応じて変化させればいい。

 

所詮高校生の部活動なんですよ。

それがこれだけ人気が出て国民的行事になってしまったからその形を崩せない。

じゃあなぜ崩せないのか…。

 

そこに群がる大人達がいるからです。

 

・「甲子園出場」というブランドの元で生徒集めを考えている私立高校。

・甲子園を「聖地」化してそこで収益を上げようとする主宰報道局。

(「〇〇甲子園」なんていうのはまさにそんな番組ですよね。)

・ドル箱を抱えた日本高野連。

 

結局そういう人たちが現状の枠組みを崩したくないから色々理由をつけて変えない様にしているとしか見えないんです。

 

そういう人たちが求めているのは何か。

「汗と涙の甲子園」

「エースが歯を食いしばりながら孤軍奮闘する。」

「勝利を目指して」

という事です。

 

結局勝利至上主義な訳です。

 

今回の新潟高野連の取り組み、素晴らしいことだと思います。

 

本来日本高野連が先頭を切ってやらないといけない事を代わりにやろうと声を上げた訳ですから。

 

有識者会議もいいですが今から検討するより、新潟高野連と連携してそのデータをもらえばいいじゃないですか。

 

会議で方向性を決めるなら0ベースで始めるより具体的データが何かあった方が絶対に早く進みます。

おそらく民間企業で働いてるビジネスマンなら誰しも分かる事だと思います。

 

ぜっかくの試み、やらせてあげてほしいなあ。

 

やってみればいいやん、と思うのは僕だけでしょうか?