毎年2月1日は日本プロ野球のキャンプインの時期です。
現行のプロ野球では労使協定によって12月、1月をシーズンオフとすることが定められており、球団が選手を練習等で拘束や直接指導等が出来なくなっています。
その関係でどの球団も毎年2月1日にキャンプインとなります。
どのスポーツ紙も待ってましたとばかりに各球団の情報を一気に掲載します。
ここから野球関係のニュースが盛り沢山になりますね。
昨日(2月2日)に仕事の関係で1人で外食をしていて、そこに中日新聞系列の中日スポーツ紙がおいてあり、中日ドラゴンズのキャンプ情報がデカデカと出ていました。
1面がドラフト一位指名のルーキー、根尾選手と松坂大輔選手の事。
さすがにこの2人が揃うと話題性が豊富ですね。
(ちなみに中日ドラゴンズの選手関連グッズで一番売れているのは松坂選手、根尾選手と京田陽太選手らしいです。)
20年前の松坂選手はゴールデンルーキーとして騒がれ、シーズンに入ると凄まじい活躍をしましたが根尾選手はどうでしょうか。
2面と3面は与田新監督のキャンプ初日の精力的な動き等をでかでかと特集していました。
大物新人と新監督、話題性が豊富ですね。
あの日本人がメジャーリーグに移籍する流れをつくるパイオニアになった野茂英雄さんも来ていたみたいでしたね。
なんでも与田新監督とは親友との事でした。
二人はプロ入り同期で二人とも新人王でしたね。
まあ僕は読売ジャイアンツのファンなんでさらっと読み飛ばしていたのですが、ちょっとその中で気になる記事を見つけました。
紙面の下の方に書いてある記者のコラムですが、
「1センチの違いに気づいた与田新監督」
というタイトルでした。
よく読んでみると与田監督がキャンプ場の球場のマウンドに立ってバッターボックスを見て数秒後
「あれっ?」
と言って打席が曲がっているのに気が付いた、との事です。
左打者のの白線が1センチずれていた、との事でした。
どうも打席部分に打ち込んである四隅のマーカーそのものがずれていたとの事です。
与田監督はマウンドに上がってすぐにおかしいと気づいたらしいですが、18.44メートル前方の打席の1センチのずれに気づくなんて…。
そのコラムの後半には0.2ミリのバットのグリップの違いに気づいた落合博満さんの逸話も書いてありました。
僕もこの1センチとか0.2ミリとかの次元とはレベルが違うのかもしれませんが、ちょっとゾーンに入るというか、何となく「あれっ?」と感じる事があります。
例えば仕事。
決算や試算表を作成する作業をしていて数字は大きく違っていないのに何かがおかしい。
一つづつ精査していくと「あっ、ここが足りなかった。」と気づく。
数字的には殆ど影響がない部分なのにそこを直すと全てがピタッと落ち着く。
例えば株のトレード。
株価チャートを見ていてなんとなく「怪しい」と思う感覚があってそれを仕掛けてみるとそれがしっかり自分の思惑通りに動く。
たまにこんな事があります。
何かを感じるというか、匂うというか。
こういった感覚を信じると非常に上手く行く事があります。
この「感覚」は「ヤマ勘」とは違います。
何か一つの事を徹底的にやり込んでいく過程で出てくるであろうものがこの「感覚」であり、ベースとなる理論、技術の裏付けがあってこそ出てくるものだと思います。
かつて日本プロ野球で初の2000本安打を達成した川上哲治さんは
「ボールが止まって見える。」
といったそうですが、それもおそらくそういう「感覚」なんだと思います。
ではこの感覚ってどうしたら身につくのでしょうか。
先端的なものなのでしょうか?
まあ正直言って先天的なものもあるかもしれません。
ただ僕が決算や試算表や株のトレードで先天的なものがあるかと言われれば多分ありません。
じゃあどうやってそういう感覚をが身についたかと言えば、やはりずっとそれらを
「仕事」
としてやり込んだだけなんだと思います。
仕事は朝から晩までやります。
仕事として職場で向き合い、長い時間かけて取り組む事で少しづつ様々な事を覚えていきます。
一日8時間、9時間、10時間…。
それを一週間、二週間、三週間…。
さらに一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月…。
そして一年、二年、三年…。
そうやって長い時間しっかり取り組む事で少しづつ感覚が身についていくのだと思います。
川上哲治さん、落合博満さん、与田監督…。
皆球史に残るレジェンドです。
素晴らしい成績を残しましたが、それは幼い頃からのことを気の遠くなる様な長い時間練習し、他の事を犠牲にして成し遂げたものです。
その過程の中でその感覚が身についていくのだと思います。
言い方を変えればそういった長い時間をかけなければその感覚は身につかないものだと思います。
ヤマ勘を信じるのは論外ですが、自分が持つ感覚を信じ切る事が出来るかどうかは今まで自分がどれだけ真摯にその事に取り組んだかどうかだと思います。
自分の感覚を信じられると思うまでやり切る事が出来るかどうか。
そこまでやり切ればその感覚というのは自然に身につくものだと思います。