今日は会社で部下がやった今月の給与計算の検算をしていました。
うちの会社は給与は20日締の末日払いですのでこの時期は給与計算のチェックは必ずしなければいけない作業の一つです。
さらに今回は厄介な事が一つあり、今年になって給与計算用のソフトウェアを変えたんです。
ですから基礎データの入力から行わなければならず、当然に入力したものは全てチェックしなければならず、この作業がかなりめんどくさい。
ただこういうソフトウェアの良いところは最初の設定は相当めんどくさいけど、一度設定さえしっかりやりきってしまえば後々便利になり、毎月の時間が短縮出来るという事。
だからこそ最初の設定とそのチェックがポイントであり、今回は僕自身相当気合いを入れて業務に臨みました。
今週は僕自身が事務所を空けないといけない用事が結構あった為、部下にお願いしたのが
・給与計算ソフトが変わるという事は給与明細も変わる。給与明細とそれを入れる袋のラインナップと在庫があるかどうか、通常の場合の発注してからの納期がどれくらいかかるかを確認しておいてほしい。
・従業員で一人数日欠勤した人がいる。
給与を欠勤分控除しなければいけないので計算方法を社会保険労務士の先生に確認しておいてほしい。
という内容でした。
それで今日上記について確認しました。
僕…「給与明細用紙はどうなった?」
部下…「ソフト会社に電話したのですが専用の用紙は無いそうです。」
僕…「会計ソフトや給与ソフトを出している会社が専用明細用紙出していない訳がない。
じゃあそのソフトを使っている会社は給与明細どうしてるの?」
部下…「A4の普通の用紙に出力していると言ってましたが…。」
僕…「そんな訳がない。僕が直接確認してみる。」
といって電話してみると…。
案の定ありました。
給与明細ソフトを作っている会社が明細の用紙を準備してないなんてある訳がない。
そして2つ目。
従業員の欠勤の話。
説明を聞いたけど、イマイチよくわからない。
僕…「欠勤して給与が減るという事は本人から説明を求められる場合がある。もし自分がその立場になったら理由を求めないか?」
部下…「はい。そうです。」
僕…「今僕に説明できないのに改めて本人に説明出来るのか。」
部下…「出来ません。すみません。」
そして社会保険労務士の先生に直接電話をしてみると、先生も
「あー、そういう事だったんですね。(部下の)◯◯さんの話がイマイチよくわからなくて。)
という事で要は額面給与を本来の実働日で割って、その数字に欠勤した日数をかけて欠勤金額を出せばいい、という話でした。
上記2つの案件について一連の処理を終えた後に話した事は
「『伝える』という行為は自分の意思が相手に『伝わる』為の手段だよ。」
という話をしました。
自分がこういう事を伝えたい。こういう内容について確認したい。
その為に自分の意思を伝える。
ただそれ自体はただの意思伝達の手段に過ぎない。
自分の意思が相手に正確に伝わる事が目的であり、目的の伴わない手段など何の意味もない、という事。
意思伝達の手段は色々な方法があります。
自分の意思を伝えたい相手といつも直接顔を見て話せる訳ではない。
その為に現代社会では様々な手段があります。
電話、ファックス、メール、ライン…。
ところがどんな手段を取ろうともそれは
「自分の意思を相手に伝える」という目的を達成する為の手段に過ぎない、という事。
そこを正確に理解していないと
「伝えた」という手段を行使した時点で「伝わった」と勘違いしてしまう、という事になります。
ビジネスの世界で目的と手段が混同してしまう事ってよくある事だと思います。
「売上を上げる為に営業に行く。」
はずなのに
「営業に行く。」
事自体が目的になってしまい、人間関係を作るという名の元、クロージングや厳しい話が出来ない営業マン。
ある程度リアルタイムに近い数字を見たい経営者に対して、細かすぎる正確性を求めてなかなか試算表を完成しきれない経理マン。
全ては目的と手段がひっくり返ってしまっているが為に発生しています。
自分の目的は何なのか。
今与えられた仕事は何の為に行っているのか。
そういう事を正確に把握すれば、目的達成の為の手段は何なのか、という事が分かってきます。
そうする事で自分が何をすべきなのかが分かり、それに向かって仕事をすればいい、という事になります。
そこを自分自身でしっかり整理せず、漠然と色んな事を把握してしまうから目的と手段が混同してしまう。
今回の事はまさにそういう事です。
手段はそれ自体には何の意味もありません。
目標から落とし込む事で選択する手段に意味が出てきます。
「伝える」という事は「伝わる」という目標を達成する為の手段に過ぎません。
今日の部下の出来事はそんな事を考える良いきっかけになりました。
僕自身も気をつけなければ…。